愛するみなさま
こんにちは
タイトルにしたセリフは最近見始めたタイのサスペンスドラマのもので主人公が子供時代に父親に問うシーンです。
最近、このセリフについてずっと考えていた。
ダメなのは感覚としてわかる。
敢えて傷つけたいとも思わないし、とても嫌な気分になる。
痛いから?法律で決まっているから?自分もされたら嫌だから?
どれもわかるけど納得できない。じゃあ明確な答えは?と自分に問うたら出てこない。
そう決まっているから?ルールだから?
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思い出した。わたしは道徳の時間が大嫌いだった。それこそ吐き気がするほど嫌いだった。
より善い人間になるために、人を傷つけてはいけない、殺してはいけない、盗んではいけない…。
当たり前じゃん。そんなの!って心の中で叫びつつ明確に理由をくれない先生達の押し付けがましく、どこか「良いこと言っている」みたいな優越感が大嫌いだった(酷いこと言ってる自覚ある笑 けど子供の時のわたしは本気でそう思ってた)
だからと言って子供の自分に納得できる答えが見つかるわけもなく。そんなモヤモヤした気持ちを何十年も抱えていたんだった。
でもそのセリフを聞いた時に、またあの頃の疑問が沸き起こって。
なんでなの?って。うっすら考えながら毎日を過ごしていたら、自転車乗っている時にはたと気づいた。
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ここから先はあくまでもわたしの意見です。正解ではないです。念のため。
それは「尊厳」があるから。
人間(というか生きもの全て)には絶対に侵していけない領域がある。
それは尊厳と言われるもの。
今まで散々、見て、聞いて、知識としてわかったつもりでいたけど。(それこそ道徳の授業でもイヤというほど学んだ)
全然わかっていなかった。
そしてわたしはそれを後天的に教わるもの、育むものだとどこかで思っていたんだけど、
もうすぐ3歳になるマゴと過ごしている時に気付いたの。
人間の尊厳って生まれながらにあるんだなって。本能と共に備わっているんだなって。
誰も何も教えていないのに、彼は自分の尊厳を守ろうとしているな、と。
どんなところが?って聞かれたら上手く言えないんだけど、確かに彼の中にある尊厳を感じる事が多々あって。
プライドとも似ているけど、もっと深い何かが動力となって突き動かしている感じ。
その場面に立ち会うたびに驚かされるし、感動してしまう。
自我がまだなくて概念も出来上がっていないのに、産まれた瞬間に尊厳は存在しているんだ!って。
そして話しを戻すと絶対に侵してはいけないその領域を、簡単に侵すことが出来るのが暴力なんだな、と。
言葉の暴力、行動の暴力、究極は殺してしまうこと。存在もろとも尊厳を消してしまうこと。
絶対にダメ。ダメ絶対に。
生きていたら相手を傷つけてしまうことはあるかも知れないけど、敢えて傷つけるのは違う。
けれど悲しいことにこの世にはそれがしたい人達もいるのも事実。
法律、ルール、道徳、やっぱり必要。教育大事。(先生達、嫌ってごめん。でも好きじゃない笑)
という事で結論
何故人を傷つけてはいけないのか。何故ならその人の尊厳を侵してしまうから。尊厳とは生まれながらに備わっている侵すことの許されない領域だから。
これは善悪とも違う。真理なんだと思う。
そんな真理もきっと毎日の生活の中では忘れちゃうし、ずっと考えてなんていられない。
けど心と頭と精神の隅の方に置いていきたい。
そして関わる人達全ての尊厳を改めて大事にしていきたい。
そんな事をつらつらと考えた昼下がりでした。
最後に、今の時点でわたしが納得出来る答えなだけであって、何故人を傷つけてはいけないのか?についての正解というわけではない事をもう一度お伝えしておきます。そして付け加えるならばもっと深い領域では尊厳が侵される事は有り得ない、とも思っています。生きていく中でもっともっと掘り下げていきたいテーマです。
全てに愛と感謝を
見て、この尊厳に満ちた姿w
子供の尊厳を守のが大人の仕事だよね。