愛するみなさま
こんにちは
今日は自己愛について話をしたいと思います。どうぞお付き合いください。
自己愛ってなんですかね?巷では「自分を愛する」とか「自己肯定感」というワードが飛び回っていますが…。自分を好きになるってそんなに大事な事なんでしょうか?
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結論→大事かどうかはさておき、自分を好きだと生きるのがめっちゃ楽。何故なら単純に嫌うのってパワーがいるから。昔のわたしは自分の行動、考え、言動、いちいち否定してた。一番自分で自分の嫌いだった所は「自己顕示欲」ね。すごいって思われたいかっこいいって思われたい、特別な存在だって思われたい…etcetc
そんな自分に気づく度に布団被って叫びたいほど恥ずかしたった。そう、死ぬほど恥ずかしかった。なんでかわからないけど本当にそんな自分に気付くほど、自分が嫌いになっていった。
でもね、それって止められないのよね。意識しなくても勝手に思考は働いて、あ、またカッコつけてる。あ、また誰かに褒められようとしている。って。
これって「誰か」にそう思われているって体だけど、実は自分が一番自分を監視している。
シンプルに褒められたら、嬉しい♡で終わるのに。一々「わたし監督(わたし警察って言っても良いかも)」が「ほら、また褒められようとしてるよ、調子に乗っているよ、自己顕示欲の強い奴め」って言ってくるんだよね。他者目線を気にしていると見せかけての自分目線。
まあ要するに、ですよ。
自己顕示欲ってやつはかっこ悪い、良くないっていう概念のもと、
そんな考えを持っているやつはなんてダサいんだという思考になり、
自己顕示欲のない人間が本物であり、
真にかっこいい人間である…。という何だかわからん理屈のもと、
わたしは自分を監視し続けて、そうでない自分を否定しまくっていたって事ね。
一体わたしは何になろうとしているわけ??笑
そして、自分を監視して否定しまくって真のかっこいい人間になろうとしてたなんて…最高に自分のこと好きじゃん。
そう。嫌いも愛の一部だから。本当は自分が好きで好きでたまらないんだよね。
好きだろうと、嫌いだろうと、自己愛というのは常にそこに存在している。
ただ生きやすいか、疲れるかの違いだけ。
良く他人の目は気にしなくて良いよって言うけど、他人の目を借りて気にしているのは自分の目なので。わたし達は自分の目を一番気にしている。
嫌うのはめっちゃパワーが必要なので、自分を好きな態度をとった方が良いだろうけど別に自分が嫌いで疲れたって自己愛がなくなるわけじゃない。いつの日か自分を好きとか自分を嫌いとかの戦いを諦められたらそれはもう最高だね。
だって自分を好きだろうが、自分を嫌いだろうが、人生は続くんだもの。気楽に行こうよ!
全てに愛と感謝を
ハロウィンで男装したよ!かっこいいでしょ?笑
自分を好きとか嫌いとか戦わなくなると、どんどん恥ずかしさが薄れていく…。
え?わたし大丈夫?笑 大丈夫じゃなかったら誰か教えてね笑
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