• 心と魂と身体のくつろぎルーム

愛するみなさま

こんにちは

 

あまりにも久しぶりすぎてどうやって投稿するんだっけ?ってホームページ開いてしばしフリーズしちゃいました…。本当にお久しぶりです。

涼しくなったし、またボチボチと投稿していこうかなと思い立ちまして。

あまり気負わずつらつらと思うことなどを綴っていこうかなと思います。

それではお付き合いください。

 

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「家族」と「責任」

 

家族って単に血の繋がりだったり、繋がっていなくても一緒に住んでいたり、心の拠り所だったり、ただの法律上の関係だったり、愛していたり、憎んでいたり…。色々な形と概念があると思うんだけど

 

その中でも「家族の責任」という概念について疑問に思うことが多いのでつらつら綴ります。

 

最近巷では「自己責任」という圧がすごいなって感じる事が多いです。

何においてもそれを選択したお前の責任だと。極端なことを言えば自然災害にあって酷い状況になった事でさえ「その場所に住んでいるお前が悪い」みたいな。

 

自然災害という誰にもどうしようもできないモノに対してさえ「責任」という何かを求められる。例え自己じゃなくても「じゃあ誰が悪いんだ?」と責任を追及したがる。

 

災害に強い家を作らなかった業者?

災害に強い街を作らなかった地方自治体?

そこに予算を回さなかった国?

 

いつだってどこだって

「じゃあ誰が悪いんだ?」「誰の責任なんだ」という空気で溢れている。

 

例に出したのは自然災害だけど、個人の小さな事から社会の大きな事まで全部に「責任」という空気がまとっていて皆それに怯えている感じさえある、と思うのはわたしだけじゃないと思う。

 

そして最小単位で最大なのは「家族」なんじゃないかな。と。

 

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親の責任 子の責任

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わたしが子供だった時に、親に言われて腹が立ったランキング1位は

「お前のため」だった。

翻訳するとこう

「親として責任があるから言っている。だから子供の責任として言う事を聞け。」

親の責任とは社会が望む(正しい)親であろうとすること。衣食住は生死に関わることは除外して、いかに社会に出て困らない大人にするか…。困らない大人にして自分も子供に困らせられない親になるか。社会が「正しい」と言うものをいかに正しく思い込ませるか…。

(もちろん全ての親がそうだと言っているわけではないし、それが良いとか悪いとか言っている訳でもない。社会に絶対に必要なルールはあるし、それに準ずるのは生きていく上で大事なことだから。)

 

もちろんそれに対して感謝をしている事もたくさんあるけど今振り返って考えてみたら

「あまりにも勝手に押し付けてない?」って思う。今にして思えばね。

 

わたしには子供(と言っても大人)が二人いて。

子供たちが小さい時には「親としての責任」という見えない空気にイライラしていた。

 

 

何故ならわたしには出来ないから。

 

例えば

「子供は好奇心のかたまり。やりたいことはなるべくやらせる。それが親の責任」

↑ムリ。息子が野球やりたいって言ってきた時に親の負担(当番とか当番とか当番とか)が嫌すぎてさせなかった。

 

「宿題やらせるのは親の責任」

↑これ、いまだに理解できない。そもそも学校の宿題が必須とはどうしても思ない。

 

「良い大学行って良い会社に入るのは幸せの選択肢として必要。それをサポートするのが親の責任」

↑ムリ。シングルだったし子供のために苦労して働いて大学行かせるシングルさんも多いしマジで尊敬するけどムリ。子供のためだけに生きたくない(本音)

 

(あれ?書いてて思ったけど、わたしってただのダメ親か?)

 

思い出せる例はこれぐらいだけどまだまだわんさかある(やっぱりただのダメ親か?)と、とにかく「それが親の責任」と言われても環境的にも経済的にも性質的にはわたしには出来なかった。あくまでも、わたしには。

 

じゃあ子供たちは不幸なのか?

わたしの一人よがりかも知れないけれど全然そんなことないと思う。きっと。(今度聞いてみる)

 

それに辛うじて出来たとしても、「親の責任」という概念でやってたらきっと

「こんなにやったんだから幸せになってよ。それが子供の責任でしょ」って言うと思う。

やりたくて、出来る環境で、それが向いている性質であるならば勝手にやってるだろうし。

 

子供だって敏感だから「責任」を背負った親を見ると「責任を背負わせた責任」を背負っちゃうんだよね…。少なくともわたしはそうだった。

「わたしのせいなの?」って。責任の連鎖。

何度も言うけど、良いとか悪いとかの話しではなくて。

もちろん正しいとか正しくないとかの話しでもなくて。

親子関係だけじゃなく、そんな見えない空気が世の中に蔓延してて、誰かが責任を取らないと許せない社会になっているんじゃないかなって感じる事があまりにも多いから。

 

でもこの世には誰も悪くない、どうにも出来ない、解決出来ないことってたくさんある。

それを全部「責任」取ろうとするのはあまりにもキツすぎるし、不自由すぎる。

 

誰が悪い?ってなったら「誰か」か「自分」の二択しかないけれど。

そこに「誰も悪くない。誰の責任でもない、どうにも出来ない」って選択肢を増やしていっても良いんじゃないかな…。

 

子供の幸せは親の望みで願いだけど、「責任」ではないと思うのよね。

だってちゃんと幸せになれる力を持って生まれてくるんだし。

例えそうでないにしても自分が思う最善を尽くしたらそれは、

「誰のせいでもない。どうにも出来ないこと」って事になるんだと思う。辛くて悲しい事だけど誰かが責任を取る、という事では決してない。

 

だってどうにも出来ないことって天体、環境、食べ物、etc…。そして前世までも関わって影響している事があるんだから。(長くなったのでこの話はまた次回。)

 

わたし達はもっともっと責任から自由になって人を愛して良いと思う。

辛い時はもしかしたら見えない「責任」を背負っているだけかも知れないって、ちょっと考えてみて欲しい。そして下せる荷物はもう下ろしちゃって。(下せなくても自分を責めないでね)

人生長いんだから。軽くなりながら、ゆっくり生きよ。

 

 

全てに愛と感謝を

 

 

この前マゴと水族館行ったんだけど、「みてみて〜すごぉい!」って一生懸命大人を呼ぶ姿にこんなに小さくても感動を共有したいって気持ちがあって、人間ってすごいなって思った。やっぱり人は一人じゃ生きていけないね。

もっと自分に自由に人を愛そう♡

 

 

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