愛するみなさま
こんにちは
今日は愛について考えてみようかなって思っています。お付き合い頂けたら幸いです。
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いきなりですが、最近わたしのタイの推しがファーストアルバムを出しまして。
それがまあ壮大な愛のテーマを歌っていて。あ、でも悲恋というかテーマは「失望」って言ってました。最初のアルバムがそれって…何があった?って感じだけど笑
その歌の歌詞で「愛は美しいものだって聞いていたのに自分にとってはそうじゃない。まるで愛に殺されるようなものだ(意訳)」って歌ってて。
そうか…。愛は美しくて壮大で何にも変え難いものだと信じていたけれど、それを得られない場合にはとてつもない苦しみになるんだな、と。
愛は美しくて、素晴らしくて、とても良いものであるという概念のもと、
愛さなくちゃいけない。
愛されなくちゃいけない。
という想いが人をとてつもなく不自由にしているのかも。
得られなければ幸せになれないなんて。それは本当に「愛」の正体なんだろうか。
わたし達は言葉と概念を超えて、愛を体現させる事ができるんだろうか。
昔、瞑想の先生に言われたこと。愛とは「ハートを開く」事だと。
頭で考えるのではなく、心で感じるのではなく、もっと奥の方から湧き出てくるものをキャッチしてその感覚を育てていく。
それにはその瞬間の、そのままの相手を見なければダメだと。過去の情報も、未来の予測もしない。条件も損得も好き嫌いも横においてただただ、その人の今を感じる。空っぽになって。
確かに、その瞬間はとてつもなく自由でいられる。そこに何もないから。条件も損得も好き嫌いもない状態はとても自由。そして湧いてくる。なんていうか愛おしさなのか慈しみなのか言葉では現しきれないなにかが湧いてくる。
でも、それはほんの一瞬。(一瞬でも感じられたら充分なんだけど)頭は、心は、いつだって何かを求めることを止めないから。途端に不自由な愛に巻き込まれていく。
愛したい
愛されたい
愛が全て。本当にそうなら何故こんなにも人を捕らえて不自由にするんだろう。
パラドックス…。
例えそうだとしても、求めないなんてもう無理。わたし達はこれからも不自由の愛を生きるしかないよね。
それこそ失望と期待を交互に持ちながら。
推しに何があったのかは知らないけど、きっと壮大な愛を生きているんだろうな…。
貴方の愛は、貴方を自由にしていますか?
全てに愛と感謝を
ちびっ子には愛の概念がないからとても自由。
愛されようとしないし、愛そうともしないから。
ただ愛されて、愛する。それだけ。
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